テロ 見て、観て、聞いて。
テロにのめり込むほど大好き♪
1977年のダッカ日航機ハイジャック事件で、
当時の福田首相は「人命は地球より重い」と言って、
超法規的措置として人質と引き換えに、
身代金を払った上に服役囚を釈放した。
今同じ事件が起こったとしても、「テロには屈しない」として、
このような超法規的措置をすることはありえないだろう。
そう考えると、人命はここ40年で軽くなったと言えるんだろう。
それに反比例するかのように、動物の命は随分重くなった。
昔は犬猫の餌は、食べ残しのご飯とみそ汁が定番だったが、
今では高価なドッグフードやキャットフードを与えるのが当たり前で、
病気になったら、人間並みの医療を施さなければ、
動物虐待とまで言われかねないご時世だ。
インターフェロンなんかの高価な薬が使われて、
動物には保険がきかないから、飼い主に負担は重くのしかかる。
一方で、相変わらず食肉の習慣はあるわけで、
牛豚鶏などの産業動物の命は軽いままだ。
また、生態系への関心がずいぶんと高まり、
外来生物への風当たりは強くなり、法律も整備された。
昨年だったか、飼育していたニホンザルの遺伝子を検査したところ、
20頭あまりが外来のアカゲザルとの交雑だったことが分かり、
殺処分された。
法律上、外来種との交雑個体は飼育できないからなのだが、
この処置には異論や混乱が広がった。
交雑種といえども、命の重さには変わりはないのではないか、と。
しかし、これがサルではなくて昆虫だったら、
そんな異論は出なかっただろう。
我々は心のどこかで、命の線引きをしているのである。
生物学的に言うと、命の重さは、実は計算できる。
個体数を維持するためには、
親と同じ数だけの子供が生き残ればいい。
ネズミや昆虫がたくさん子供を産むのは、それだけ捕食されるからだ。
対して、人間や大型の哺乳類は少ない子供を大事に育てて、
生存率をあげることでカバーしている。
つまり、生涯産む子供の数が少ない動物ほど命は重い、
ということになる。
命は何にも代えがたく大事だ、という人間の思想は、
産む子供の数が少ないから生じた、と言って構わない。
だから、その思想を他の動物にも当てはめるのは、
実はおかしな話なのである。
しかしながら、日本は戦時中、前途ある若者の命を
爆弾1個の重さと同じにしてしまった。
職業軍人でもない自国民に、国のために特攻しろ、というのは、
神様が命を授けてくれた西洋人には理解しがたいことだ。
建前上は志願制だが、拒否すれば自分のみならず
家族まで非国民扱いされるのだから、強制といっていいだろう。
英霊なんて呼ばれるより、もっと生き続けたかったに違いない。
特攻で死んでいった若者のおかげで今の日本の繁栄がある、
なんて言う人もいるけど、
その若者が死なずにいたら、もっといい日本になってたんじゃないか、
と思うのである。