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どうも。
テロを読み解く10の視点
今年も終戦の日を迎えた。
正直に言うとね、最近この日を迎えるのがつらくなってきたんだ。
15日は大混雑の靖国神社。
安倍首相に「こんな人たち」と言わしめた市民運動家なる共産主義者と右翼と機動隊が三つ巴の大騒ぎ。
右も左もバカとアホウの絡み合い。
今年は静かにお参りしたくて、大神宮様と共に一昨日参拝してきた。
昭和16年12月8日に始まった大東亜戦争は国土の6割を失い、二百数十万の軍人と約百万人の民間人の尊い命を犠牲にして昭和20年の8月15日に終わった。
息子の教科書を見ると日本は他国を侵略するために戦争したような記述だがそれは間違い。
開戦時の首相の東条英機も戦争を回避するためにあらゆる努力をしている。
しかし、なんとしてもイギリス救援のために参戦したいアメリカの手の上で、無能な日本の指導者はいいように操られ、石油の禁輸に及びにっちもさっちもいかなくなり一か八かで始めたのが大東亜戦争の本質だわさ。
朝日新聞を始めマスコミが戦争を煽りにあおったことも忘れてはいけない。
私は図書館で戦前戦中の朝日新聞は全て読んでいるからごまかしは利かない。
朝日は戦後は手のひらを返したように、「大本営発表に騙された。あの戦争は侵略戦争だった」と平気で自らの罪にほっかむりを決め込んでいるが、東京裁判においてパール判事が日本無罪論を述べたように日本が侵略戦争をしたことはただの一度もない。
開戦当初は連戦連勝でアジアから白人を追い払い、彼らに苦しめられていた植民地が次々解放されていき、まさに日の出の勢いだったが、昭和17年から次第に形勢は逆転されていく。
昭和19年、サイパン島を奪われると連日日本への空襲が激しさを増してきた。
民間人を攻撃することは当時も国際法で禁止されている。
しかるにアメリカは平気で国際法を踏みにじり、罪もない民間人を攻撃してきた。
赤十字旗を掲げた病院船や、沖縄の小学生を疎開させる輸送船をも躊躇なく撃沈する。
サイパン島では赤ちゃんを抱いた女性が次々にバンザイクリークから海に飛び込んだが、アメリカ兵に捕まった女性の悲惨な末路を目の当たりにしているから、躊躇なく海に飛び込んだのだ。
東京大空襲では最初に円形に焼夷弾を落とし、人々の逃げ場を失わせてからその円の中を焼き尽くした。
ドイツには同じ白人国家だとして落とさなかった原爆を広島にはプルトニュウム、長崎にはウラニュウム原爆を使用したのは効果を確かめる恐るべき人体実験。
ベトナム戦争でも同じく非人道的な殺戮によっていまだに大勢の子供たちが苦しんでいる。
世界最大の戦争犯罪はアメリカとソ連、中国なのである。
これらの非人道的な行為に対し、日本はもう防ぐ術がなかった。
日本を、故郷を、家族を、我が子を、恋人を守るために、若者は飛行機に爆弾を付け、敵の船に突っ込む特攻隊しか道はなかった。
大西滝次郎中将が考案した特攻なんて作戦なんてものじゃない。滅茶苦茶な命令だ。
しかし若い隊員たちは純粋に、自分の死と引き換えにして愛する人々を救おうとしたのだ。
こんな小さな飛行機に爆弾を積んで敵の船に体当たりまでして日本を守ってくれたのだよ。
?
ほとんどは17~20歳の少年だ。
敵艦に体当たりできた隊員はまだ幸せ。
未熟な操縦技術に加え、重い250kg爆弾を積んだ特攻機は待ち構えたグラマンの格好の餌食。
多くの特攻機は見るも無残に撃ち落とされ、海の藻屑と消えた。
彼らの死を、「犬死に」だったとか、「クレージー」、「自爆テロ」だとかテレビでしたり顔でのたまう学者センセーもいるが、同じ日本人として一片の涙も感謝の気持ちも持ち合わせていないのかと憤りでいっぱいだ。
なぜ、「ありがとう」の一言が言えないのだ。
なぜ、若くして散華された死者にムチを打つのだ。
口舌の徒の先生たちは、18歳で戦死された回天特攻隊の隊員の遺書を涙なくして読めるか。
5年前の靖国神社。
「私が総理になったらどんなことがあっても靖国神社に参拝します」
私の前でそう約束された安倍総理は、どんなこともないのに8月15日には一度も靖国神社には参拝されていない